しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。
しかしモーセは主の前に行って主と語る時は、出るまで顔おおいを取り除いていた。そして出て来ると、その命じられた事をイスラエルの人々に告げた。
その日、耳しいは書物の言葉を聞き、 目しいの目はその暗やみから、見ることができる。
また主はこの山で、すべての民のかぶっている顔おおいと、すべての国のおおっているおおい物とを破られる。
しかし彼らも、不信仰を続けなければ、つがれるであろう。神には彼らを再びつぐ力がある。
人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。
われわれは、自分の行いを調べ、 かつ省みて、主に帰ろう。
あなたの子らはみな主に教をうけ、 あなたの子らは大いに栄える。
これはあなたが、あなたの神、主の声に聞きしたがい、この律法の書にしるされた戒めと定めとを守り、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に帰するからである。
後の日になって、あなたがなやみにあい、これらのすべての事が、あなたに臨むとき、もしあなたの神、主に立ち帰ってその声に聞きしたがうならば、
今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。